TITLE:麻生太郎の思い出

 30代の頃は青年会議所という団体に入っていて、いわゆるJCと呼ばれる団体なのだけど、もともとこの団体は各地方での組織がベースになって、その集合体としての中央組織である「日本青年会議所」というのがあり、私の場合は地方組織というより、その中央組織である「日本青年会議所」の国際室という部署で主に活動をしてました。
 日本青年会議所をさらに統括する組織として国際青年会議所(JCI)という組織があり、ここで長尾源一という男に出会ったことが、この組織にのめり込んでしまうきっかけになったわけです。長尾源一という男というか、大先輩なのだけど、たまたまこの国際室に属した最初の年に、彼はJCIの会頭をされていました。簡単に言うと、この先輩に憧れてしまったわけです・・ この話は後日また。
 その当時、この国際室で世界の会議に出席すると、何故かいつも出席されていたのが、表題の麻生太郎衆議院議員。当初は一体彼は先輩なのに国際会議で何をされているのだろうと、ちょっと怪訝な思いで見てましたが、あるときに彼の国際会議で何をされているのかというのを見て、腰を抜かしました。
 JCIはもともとアメリカが本部だし、アメリカで発祥したということもあって、会頭の人事権は欧米の独壇場だったそうです。アジアから会頭が出ることも少なく、欧米主導型の組織だったようです。
 詳しい事情は不正確で、よく分からない部分もありますが、それではいけないと考えた日本人がいたそうです。お会いしたことはありませんが、前田完治という大先輩が、アジアのJCを一つにして、一部北欧のJCを仲間に入れて、欧米型であったJCIの組織をアジア主導型にした、いわばクーデターのようなものかもしれませんね。
 その前田完治さんが作り上げた組織の最後の仕上げをしたのは、いま話題の麻生太郎だったのです。
 この組織は麻生太郎が独裁的に仕切っていたわけではなく、また、JCという組織から考えても、各国のJCの利害は互いに交錯するのが常ですから、麻生太郎が主導権を持ちながら、各国の利害を調整するという事ですね。当時、アジアでは、フィリッピンのディビッド・チャン・スウと香港のソニー・ユーという二人の大物がいて、彼らとの話が調整がメインだったようです。
 ここでは、麻生太郎は独特の英語と、語り口を駆使して、アジアのJCを一つにまとめていたようです。それを目の当たりにしたとき、凄い男がいるもんだと、それこそ、先ほどの話じゃないですけど、腰を抜かすほど驚きました。上には、上がいるものだというのが、当時の正直な感想でした。
 彼のアジアに於ける人脈は凄いものがあります。そういう意味で外務大臣になったときは、私自身もかなり期待していましたし、彼の外交に於ける動きは天才的なものがあるように感じます。新聞によると、今回自民党の幹事長に就任されるそうです。大いに期待したいと思っています。