「特定の誰かのためではなく、感受性を持つすべての人のために」——2016年、ミラノ・デザインウィークの幕が上がったとき、キーブーが掲げたデザイン思想です。ユーモアのある一羽のウサギの愛らしい椅子も、その根底には、北イタリアに根ざした製造技術が裏付ける確かな品質と、新しいイタリアデザインの息吹が吹き込まれていました。
INDEX
2016年のミラノ・デザインウィーク。イタリアを代表するプロダクトデザイナー、ステファノ・ジョバンノーニ|Stefano Giovannoniは、自身のブランド「キーブー|Qeeboo」を世界に向けて発表しました。
アレッシ、マジス、ラウフェンなど錚々たる国際企業と長年協働してきた彼が、なぜ自社ブランドを立ち上げたのか。その動機は、デザイン流通が抱える構造的矛盾への静かな問いかけでした。
ジョバンノーニは、従来型企業における実店舗とウェブ販売の「調和しえない溝」を指摘し、透明性と開かれた姿勢を基盤としたビジネスモデルを目指しました。
ブランドの原点は明確なマニフェストとしてこう打ち出されています。「キーブーは一部の富裕層のためのブランドではない。ウェブを主軸にサプライチェーンを短縮し、高品質と低コストを両立させた製品を広く届ける」——それがブランドの根幹に据えられた思想です。
高級家具市場が特定の価格帯と顧客層を中心に成熟していくなか、キーブーはもう一方の可能性、すなわち「優れたデザインをより多くの人の日常へ」という方向性を、品質を妥協することなく追求しました。
キーブーを象徴する製品が「ラビットチェア|Rabbit Chair」です。ウサギの耳が背もたれとなり、胴体が座面を形成するこの椅子は、単なるユーモアの産物ではありません。
東洋でも西洋でも、ウサギは愛と豊穣の象徴とされています。その文化的含意を携えながら、大人用・子ども用の二バリエーションで展開されるこの椅子は、幸運と祝福の意味を空間に持ち込みます。
ここに息づくのは「既成のフォルムに機能を与える」という発想です。すでに世界に存在するもの、すなわち、動物という誰もが知っている具体的な形(デザイン)を出発点に、それを家具デザインへと昇華させます。20世紀の美術・デザイン思想のなかに脈々と続く「既成概念への問い直し(レディメイド)」という姿勢が、イタリアのデザイン文化を経由し、キーブーという製品のかたちで現れているとも言えるでしょう。
この椅子の成功がキーブーをグローバルなデザインシーンへと押し出し、このブランドの視覚的言語の基盤となりました。
ジョバンノーニが選んだ溢れんばかりの個性と才能のデザイナーたちも、この「フィギュラティブ(具象的)」な姿勢を共有しています。ジョバンノーニは、強いストーリー性をデザインで表現できる人、形を通じて高い感情的価値を発揮できる人を選んだと語っています。
キーブーの多くの製品は、ポリエチレンを素材とし、回転成型(ロトモールド)と呼ばれる製法で生産されています。
ブランド設立にあたって約200万ユーロを投じて射出成型・回転成型機を購入し、より精細な表面加工と仕上げを実現しました。
この製法の選択には、イタリア北部の製造業集積地が持つ強みへの深い理解があります。少量多品種の生産に適した地場産業の技術力をキーブーは最大限に活かし、「己を知る」戦略として体系化しました。
大型の金型を使うロトモールドは、製品のコピーを困難にするという効果も持ちます。大規模な設備投資がそのまま知的財産の防衛線となる、合理的な仕組みです。
主に使用するポリエチレンとポリプロピレンは、耐久性とリサイクル性を兼ね備えた熱可塑性樹脂です。CEOのシモーネ・パンフィロは「製品がリサイクルされることを想像するのではなく、世代を超えて受け継がれるエターナルな作品として考えたい」と語ります。
これは単なる過去から続く産業の継承だけに留まりません。北イタリアの製造業の誇りを礎にしながら、現代的なデジタル、スピード、デザインの市場分析をかけ合わせた、新しいメイド・イン・イタリーを模索したかたちなのです。
1980年代のイタリアでは、機能主義的なモダニズムに対して色彩・ユーモア・具象性で応じる動きが生まれました。機能とシンプルさを絶対とするモダンデザインの文法に、「難解さより遊び心を」「抽象より具体を」という別の文法「ポストモダン」が提示されたのです。
キーブーは、その精神の直接の継承者ではありませんが、同じイタリアのデザイン文化の土壌から生まれた存在として、根底には類似した美意識が見え隠れしています。「難解さを美徳とする抽象」に対して「具象とポップ」で応えること。独自の存在感を示しながら、より幅広い人々にデザインを届けることを目指しました。
「ポップなオブジェ、ブルジョワでないもの、創造的な夢を人々の家に届けることができるもの——それが工業デザインの目的だと私は思う」とジョバンノーニは語ります。
また、カーペット、クッション、プフなどテキスタイル系の製品群は、アーティストの世界観を空間全体へと展開するための重要な手段です。壁・床を含む面で表現の面積を広げ、空間をひとつのアート作品として構成するメンフィス的な発想は、後述のインテリアをキャンバスとして捉えるアートの文脈に繋がっています。
キーブーの強さのひとつは、ジョバンノーニが持つ国際的なデザイナーネットワークと、そのキュレーション能力にあります。
故アンドレア・ブランジ|Andrea Branziはフィレンツェで建築を学んだ後ミラノに移り、ポリテクニコ大学でプロダクトデザインを教えた巨匠中の巨匠です。1987年にはその生涯の業績に対してコンパッソ・ドーロ賞を受賞しています。その彼が他でもなくキーブーのために遺したコレクションは、イタリアデザインの偉大な足跡を現代へと継承する文化的遺産と呼ぶにふさわしいものです。
2023年のミラノ・デザインウィークでは、フィリップ・スタルク|Philippe Starckがキーブーと初めてコラボレーションし、「ヘルプユアセルフ|Helpyourself」シリーズを発表しました。 現代デザイン界の巨人が参加することで、ブランドの存在感と信頼性はさらに高まりました。
初期コレクションを構成したマルセル・ワンダース|Marcel Wanders、リチャード・ハッテン|Richard Hutten、ニカ・ズパンク|Nika Zupanc、フロント|Frontに加え、スタジオ・カンパーナ|Estudio Campana、マルカントニオ|Marcantonio、スタジオヨブ|Studio Job、ダイ・スガサワ|Dai Sugasawaと、多様多彩な才能が次々とキーブーの世界に集まっています。
国境や文化圏の枠を超え、個性と才能豊かなデザイナーを積極的に起用するこの姿勢こそ、キーブーのコレクションに他にはない深みと多様性をもたらしています。
2020年以降のパンデミックは、世界中の多くの企業に打撃を与えました。しかしキーブーにとっては、これが逆説的な追い風となりました。
世界中がインドアを余儀なくされた反動として、屋外空間への関心が急速に高まりました。ポリエチレン製品が持つ屋内外どちらでも使える耐候性は、この「アウトドア回帰」の波とそのまま合致しました。
閉ざされた社会でSNSが情報拡散の主流となるなかで、アイキャッチーなフィギュラティブ・デザインは「アイコン」として拡散されやすい特性を発揮しました。イタリアらしいユーモアを凝縮した製品は、言葉がなくとも一目で伝わる視覚的な語彙を持っていたのです。
さらに、閉塞した社会的雰囲気のなかで、家庭空間に「楽しさ」をもたらすデザインへの需要が高まりました。デジタルを起点とするブランドとして誕生していたキーブーは、EC販売の急拡大にも柔軟に対応できる体制を持っていました。コロナ禍は奇しくも、キーブーがその存在意義を世界に証明する舞台となったのです。
キーブーのもうひとつの際立った特徴は、プロダクトデザイナーとは異なるジャンルの才能、すなわちアーティストを積極的に取り込む姿勢にあります。
シャンテル・マーティン|Shantell Martinの線画、クリス・ルース|Kris Ruhsの彫刻的動物オブジェ、マルコ・オジャン|Marco Oggianの原色ポップな図像——これらのアーティストの作風は、テキスタイルやカーペット、クッション、ベースやキャンドルスタンドなど多様な製品形態に展開されます。
なかでもカーペットやラグといった面で広がるアイテムは、アーティストの世界観を空間全体に広げるための重要なメディアとして機能しています。壁から床まで、居住空間をひとつのアート空間として構成するこの発想は、プロダクトとアートの境界を意図的に溶かすキーブーの美学の核心です。
キーブーは、ポップな家具ブランドであると同時に、生活の中にごく自然なかたちでアートを注ぎ込む体験も提供しているのです。
キーブーのブランドの根底にあるのは「デザインは特定の誰かのためではなく、感受性を持つすべての人のためにある」という思想です。北イタリアのプラスチック成型技術という確かな地盤の上に立ちながら、ポップとユーモアとストーリーを武器に、家具・照明・テキスタイルという複数の接点から人々の生活に溶け込みます。
アンドレア・ブランジというイタリア・デザインの巨匠の遺志を受け継ぎながら、フィリップ・スタルクや世界各地のアーティストを結集させるジョバンノーニの卓越したキュレーション眼は、キーブーを単なる製品の提供者ではなく、時代と対話し続けるデザイン文化のプラットフォームへと押し上げています。
動物の形をした可愛らしい椅子が語りかけるのは、楽しさ、美しさの向こう側に流れている、自分らしさへの問いかけと、新しいイタリアンデザインのあり方の模索なのかもしれません。
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