TITLE:「メゾン・ド・オブジェ」と「デコ」

 「メゾン・ド・オブジェ」でも、デコの流れは顕著見られるようになってきたと思う。
 では、デコはいったいどこに行くのだろうということなのですが、デコはミニマルと違って単純ではなく、考えれば、考えるほど、いろんな可能性があり、なかなか先を読むのは難しいと思う。この事は、最近のファションの流れも見てもよく分かる。
 サローネのレポートの時にも書いたと思うのだけど、「量産されるものへの嫌悪感」みたいなものが底流にあるような気がするのです。つまり、いくら素晴らしいもの、美しいものであっても、それが大量にマーケットに溢れたとき、その価値を失ってしまうという考え方です。これを「デザインの大量消費に対してのアンチテーゼ」という言葉で呼んでもいいかもしれない。
 コルビジェは素晴らしいけど、これだけ市場に溢れるともういいか、、そんな感じかな・・・ちょっと極端な言い方なのでコルビジェ・ファンの皆さん「ごめんなさい」。 実は私もファンなのですが、、
 今回のメゾン・ド・オブジェでも、「量産」できないもの、手作り感とか、アート感とか、そんなものが多く展示されていました。

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 カラフルで不思議なテーブルと椅子。テーブルはカラフルだけというだけではなく、ガエターノ・ペッシェのように色の偶然性のようなものを感じる。恐らく、作る度に色や形は微妙に変わり、二つとして同じ物は出来ないそんな感じがする。

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 左はそのテーブルのアップ。

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 椅子の上に置かれた「Tokyo Kids」と名付けられた人形。Tokyoというくらいだから日本人の作品なのだろうか? 展示には作者名は掲示してなかった。

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 捨てられていた鉄板を使って作られたように見える椅子。川窪怜のゲリラ・ショップを思い出した。代官山の「Color by Numbers」というラブレス系のアパレル・ショップや、最近改装した南青山の「UnderCover」も使い古したビニール・コーティングした鉄のワイヤーが、錆びたままの状態で内装に使われている。うちの六本木の「TOYO KITCHEN Meuble」でも、ポテチーノの呼ばれる大理石の石ころを納めてるのは、わざと錆びさせたワイヤー・ケージ。
 使い古したものは、使い古したという感覚そのものが美しく感じる。そんな時代がやってきたのかも知れないと思う。これは、やはり「量産されたものへの嫌悪感」というのが底流にあると思う。

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 写真がうまく撮れてないので、良く見ないと分からないと思うけど、実はこの化粧皿は白いプラスチック製の人形を半分溶かすようにして成形されている。形の偶然性から考えても、どちらかというと、この皿はアートと呼ぶべきなのかもしれない。

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 ペット・ボトルのシャンデリア。使い古したペット・ポトルが豪華?なシャンデリアとして甦る。ちょっとしたジョークともとれる作品。でも、これも量産は出来ない。

 デコの方向性はいろいろあると思うので、「デザインの大量消費に対してのアンチテーゼ」というのは、単に方向性の一つに過ぎないと考えて欲しい。もっと多くの方向性や、可能性があるような気がします。

 何れにしても、単純なミニマルな時代は終わり、本格的な多様性のデコの時代を迎えるいま、我々インテリアに携わる人間としては、市場の均一性を前提として、横並びの製品を、単に流通を押さえる事だけで売っていく、そんな時代は終わり、もっと創造力溢れる製品作り出していかないと、多様化するユーザーのニーズには対応できなくなってくるような気がします。