TITLE:2004年の講演の全編をアップしました

 2004年に行われた私の講演「日本のキッチンはどこへ行く」の全編をHPにアップしました。
 全部で一時間ぐらいかかりますが、7月5日の講演に来て戴ける予定の方、抄録を見て面白いと思われた方は、ぜひ全編も見てください。
 https://www.toyokitchen.co.jp/news/index.html
 「人気ブログランキング」皆さんの協力を得て現在44位に上がりました。
 ご協力ありがとうございました。
 ご協力ついでに、もう一度「人気プログランキング」のクリックをお願いします。

TITLE:2004年の講演の抄録です

 2004年の春に南青山のモーダ・ポリティカで行われた私の講演の最後の「まとめ」の部分だけをU-Tubeに上げました。講演の全体の録画データは来週にでもHPで公開される予定ですので、この抄録を聞いて面白いと思われたら、ぜひそちらの方も聞いてください。U-Tubeの録画は3分半程度に圧縮しておきました。

 この講演の中で、現在の日本のキッチンのトレンドが殆ど予測してあり、また、TOYO KITCHEN STYLEがこの講演の後に発売してきた新製品の「考え方」「意味」等が全てこの中に凝縮してあります。7月5日に予定されている今回の講演は、いわばこの講演の続編です。講演を聞きに見える方は、前回の講演の録画を前もって聞いておいて頂くと、より理解がしやすいと思います。
 いま、2004年のこの講演を聞くと、恐らく殆どの方は私の行ってる意味はほぼ理解をして頂けると思いますが、この講演を当時聞いた方の殆どが「半信半疑」か、言ってる意味が良く分からなかったという話を耳にします。
 事実、講演会の会場でしっかり寝てみえた方の中には、高名なキッチン評論家、大手デベロッパーのインテリアのキーマンも見かけました。今回はお見えになるかどうかは分かりませんが、一度当時の聞いたときの感想を聞いてみたいという意地悪な気持ちもあったりして、、
 今回の講演は、キッチンを含む住宅のインテリアや空間は、次の時代にどう変わって来るのだろうという話です。講演の後に「Mueble」を視察して頂き、私のお話しした意美を感じて頂ければ幸いです。そんなに難しい話ではないとは思うのですが、インテリアに知識のある方ほど、常識の罠に陥られている場合か多いので、あまり常識を前面に押し出されると、理解が難しいかもしれませんね。
 でも、私の予見が当たるのか、当たらないのかは、時代が来てみないと分からないと思いますが、興味深い内容になると思います。
 あっ、、そうそう、この講演の中で私か言ってる事は、今は殆どのキッチン・メーカーやキッチン評論家が言い始めています。それほど、この時に私が話したことが、今では殆ど一般常識化してしまったのには、私自身が驚いています。

TITLE:唇のソファー



 「唇」のソファーといえば、代表的なのはEdra「Bocca Sofa」
 でも他にもいろいろあるんですね。
 右側の真ん中の唇ソファーはアンジェリナ・ジョリーを連想してしまった。

 そうそう、ちよっとお願いですが、たまには「人気ブログランキング」をクリックして貰えると嬉しいな。
 一時は20位以内に入ってたけど、今日見たら71位に落ちてた。アクセス・カゥンターだけで見ると、nabe forumのアクセス数はかなり増えてきているので、とても嬉しいのだけど、ついでランキングももう少し上げれればと思ってます。
 宜しくね!

TITLE:アメリカ人はエンターティメントの天才

 ニューヨークのメトロポリタン・オペラで上演された歌劇「魔笛」を先日NHK・BSで放映されていた。
 この「魔笛」は、ニューヨークで上演されているオペラをそのままネットで配信して、世界中の劇場、映画館で放映された事ででも有名になった。世界初めての試みで、高価で入手困難なオペラチケットを入手できる幸運な人だけでなく、多くの人にオペラの醍醐味を経験して貰うということで、当時かなり話題になった。

 日本では時差の関係で9時間ほど遅れて、東京の歌舞伎座で放映された
 右はその時のポスターの写真。歌舞伎座でメトロポリタン・オペラを観るなんて、ちょっとない経験だとは思いませんか?歌舞伎座の後にも、何軒かの東京の映画館で再上映されたらしい。











 ネット配信という斬新な試みだけでなく、演出がなんとミュージカル「ライオン・キング」のジューリー・ティモアというのが驚き。
 演出は随所に「ライオン・キング」を思い出させるような、動物キャラも登場、登場人物もコミカル・キャラのパパゲーノも、どことなくライオン・キングのミャオ・キャットを連想して、オペラという堅苦しさはまるでなく、まさしくエンターティメントで、放映時間の二時間はあっという間だった。




 こういうものを見ていると、まさにアメリカ人はつくずくエンターティメントの天才なのだと思う。

TITLE:六本木「Meuble」がOPENします

 全く新しいコンセプトのショールーム TOYO KITCHEN STYLE「Meuble」 (ムーブル)が六本木のAXISビルにオープンします。この「MEUBLE」はキッチンを含む日本の住宅のインテリア、または住み方そのものがどう変わって行くのだろうという問いに対してのTOYO KITCHEN STYLEとしてのビジュアル・プレゼンテーションです。

 キッチンが単に料理をする為の道具から、生活の中心の場としての役割を担い始めているいま、この考えかたの先にはどんな変化が待ち受けているのか?もうそろそろキッチンやインテリアに携わっている我々としては、この事を従来の常識にと捕らわれる事なく、自由闊達に議論して、この先にに待ち受けるであろう大きな変化を見据えていく必要があると考えています。
 この新ショールーム「Meuble」を見て戴き、もっとキッチンやインテリア・デザインについて語り合う事が出来ればとても嬉しい。
 一般公開は6月30日からです。

 この「Meuble 」のopenを記念して、久しぶりに私の講演をする事にしました。私なりのこれからの日本の住宅やインテリアの向かう方向や、この新ショールーム「Meuble」の意味等の話をさせて戴きます。
 テーマは
「Beyond the Kitchen」
  `キッチンにつづくもの `
 場所:六本木のアクシス・ビル
 日時は7月5日(木)16:00開場
           16:30〜18:00
 聞いてみたいと思われる方、生nabeに会ってみたいと思われる方、TOYO KITCHEN STYLEのHP上の参加エントリーフォームからお申し込み下さい。申し込みは先着順なります。席数に限りがあるのでお早めにお申し込み下さい。

東京都港区六本木5-17-1

TITLE:カンパーナ兄弟のスケッチ

 ある雑誌でカンパーナ兄弟のスケッチを見つけました。
 今年のサローネでedraから発表された「レザー・ワークス」のスケッチ画です。

 製品を知ってるので、スケッチを見ても想像できるのですが、いきなりこんなスケッチを見せられて、製品を作れと言われてもどうするのだろう。デザイナーとそれを支える職人の連携がなければ新しい製品を生み出すことは難しい。デザイナーも素晴らしいけど、ひょっとするとそれ以上に試作をする職人の方が偉いかもしれないと思った。
 何年か前に雑誌「ENGINE」の鈴木編集長に聞いた話だが、例えばフェラーリはピニファリーナでデザインされてはいるが、ディテールのアールとか、エアー・インテークの大きさやティテールでの形とかはモデラーと呼ばれる職人の手で作り上げられるそうだ。

TITLE:「nabe forum」の小冊子が出来ました

 「nabe forum」のサローネ関連だけを抜粋した小冊子が完成しました。
 ブログで読むのと、印刷物にして読むのとは、また随分と違う感じがするものだと、ちょっと不思議な感じです。
 独断と偏見のサローネ・レポートですが、保存版として持っていたいと殊勝にも思われる方、もう一度まとめて読み返してみたいと思われる方、弊社のショールーム、また営業にお尋ねください。 印刷したのは1000部だけですので、すぐに無くなると思いますので、もし無くなってた場合にはご容赦下さい。

 私の周囲にいて、いつも私の話を聞いている方には納得して貰えると思うのですが、私の言う事はある意味では時代の先端部分だけの流れをを切り取って話すので、聞いたときは「あり得ない」と感じるそうです。特に、日本で書かれているサローネ関連の情報やら記事の多くは、具体的に現れた現象面だけで記事にすることが多い、つまり、著名なデザイナーがどんな新しいデザインを提案したのかとか?いま、イタリアでは誰が旬なのかということは良く語られるのですが、デザインの大きな「うねり」や「予兆」を予見するという記事を見かけることは少ないか、あっても、もう専門家の間ではではもう「定説化」しているようなことを、さも自分の意見のように語るだけだったりします。
 デザインも時代の流れという視点で見たとき、まるで違う見方が出来るものです。
 何にでも流れがあり、流れは最初から大河であることはありえません。目の前に現れた「大河」だけを見るのではなく、その「大河」がどこから来るのかとか、源流ではどんな変化が起こりつつあるのかを語ることも必要だと思います。独断と偏見ではありますが、この小冊子をまとめて読んで頂けば、これからのインテリアの大きな流れや、TOYO KITCHEN STYLEも含めたインテリア関連企業の大枠での方向性というものの示唆も感じられると思います
 ぜひお読み下さい
 そうそう、以前は「nabe forum」ではコメントは受け付けていませんでしたが、ある程度流れも分かるようになりましたので、コメントを付けて戴けるようにしました。いろんなコメントを戴ければ幸いです。下のコメントという文字をクリックして戴けると、コメント受付画面が現れます。
 宜しく!

TITLE:バームクーヘンの話

「たねや」のバームクーヘンってかなり人気があるようです。
 最近では各デパートにも入ってますが、実は本店は滋賀県近江八幡市の日牟禮八幡宮の境内にあって、ここだと焼きたての「たねや」のパームクーヘンが食べられるようです。なかなか美味しいのでお近くに行かれた節は食べてみられては如何ですか?
 友人に連れられて彦根の「たねや」に行き、始めてここのバームクーヘンを食べてから私もファンになり、それ以来デパ地下でも「バームクーヘン」が売ってると、必ずチェックするようになりました。

 先日、新宿伊勢丹の地下をウロウロしてたら、なんか高そうなバームクーヘンが売ってるのを見つけました。値段を見るとかなり高い。どうしょうかと迷ってたのですが、きっとこの価格に何かの意味があるに違いないと自分なりに納得させて購入してきました。
 ドイツはベルリンの「コンディトライ・ラビーン」洋菓子店のバームクーヘンで、ベルリンでは「ラビーンのバームクーヘン」と言えば誰もが知ってるお菓子だそうです。

 写真はラビーンのベルリンの店舗とバームクーヘンを作っているところです。
 家に帰って食べてみると、生地のきめ細かさ、堅さ、味の柔らかさ、どれをとっても私が今まで食べたどのバームクーヘンより美味しく、言い方を変えれば「今まで食べたバームクーヘンは一体何だったのだろう?」と思うほどの凝縮された美味しさ。
 完全に癖になってしまった私です。
 残念ながら新宿伊勢丹以外では売ってるのは見たことがないのですが、何故か日本語のホームページがありドイツに直接に注文できるようです。

 一度、お試し下さい。
 ちょっと高いけど、バームクーヘン好きには見逃せません。
 食べると、ちょっとした「目から鱗」状態になると思う。

TITLE:ドルチェ君とガッバーナ君のスクーター

 さすが、ドルチェ君とガッバーナ君、、所有するスクーターまでが豹柄。

 でも、なかなかいい、ちょっと欲しいかもしれない。
 しかし、この二人、様になってる。

 自宅のダイニング・スペース、 シャンデリアが凄い!、テーブルはロンアラッドの一点もの。このテーブルもクローム系、クローム系はこれからのインテリアのトレンドになる兆候がここでも見られる。

 テーブルのアップ

TITLE:ポールは偽者?

 40年前、「ポールマッカートニ」は実は亡くなっていて、今のポールマッカートニは偽者だというとんでもない噂が全米を駆け巡った。日本でも、この事件は多少報道されていたようなので、聞いたことがある人もいると思う。
 この噂は単なる噂だけではなく、まことしやかな根拠というか、証拠が3つもあったのでかなり信憑性を持った噂としてかなり根強く囁かれ続けた。

 最初の根拠は名作「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band 」のジャケットにあった。ビートルズのメンバーの後ろに歴史的、現代的に有名な人物が背景として並んでいる。ポールの後ろだけを注目してみると、なんと彼の後ろにいる人物だけが全て故人だという。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band 」は亡くなったポールを追悼する為に作られたものだそうだ。事実、このアルバムだけが従来のビートルズとは音楽も少し趣が違っている。

 2つ目の根拠はアルバム「Abbey Road」のジャケットにある。写真でのポールは一人だけ裸足で、左利きにもかかわらず右手にタバコを持っている、路上に止められたフォルクスワーゲン・ビートルのナンバープレートが「281F」であるのが、もしポールが生きていれば28歳である(「28」「IF」)ことを意味している、白いスーツで長髪にひげを蓄えたジョンは「神父」、黒いスーツを着たリンゴは「葬儀屋」、スーツ姿で裸足のポールは「死体」、デニムシャツにジーンズ姿のジョージは「墓堀人」を意味しているという。

 最後の根拠は、ビートルズの音楽の中に隠されているという。隠されていたのはまたも「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band 」の中にあった。アルバムに入っている「Lucy in the Sky with Diamonds」の最後に潜んでいた。この曲の最後の部分を、LPの回転を早めるか、遅くすると(どちらだったのかは忘れてしまった)、なんと間奏曲の間に囁くように「We buried Paul」(我々はポールを埋葬した)って聞き取れた時は、思わず背中を冷たいものが走った記憶がある。
 あれからもう40年も経つが、いまだにこの噂は一体何だったんだろうと思う。